今回はなぜ働く場をウリ専にしたのか?をお話しさせていただきたいと思います。
今回も最後までお付き合い下さいませね。
なぜウリ専なのか?
それは……楽してお金を稼げそうだから。です。
もし、これを同じような業界で最前線で働く方々が聞いたらその方々に袋叩きにされるであろう安易で馬鹿げた考えを持っていたアホな男でした。
そんな甘い話はこの世の中存在しないとあの時の雅はウリ専で味わうことになるのでした。
雅はその当時は地道に1日中働いてお金を稼ぐことにとても抵抗を感じていました。
楽してお金かせぎてぇな~なんかねぇのかな?もう、今の仕事やめてぇよ~などと何時も考えて過ごしていたのです。
若い時によく発症してしまう、典型的な怠け病にかかっていました。
若かりし自分を思い出す度に本当にはずかぴぃし情けねぇ男だったなと思ってしまうっすよ。トホホ……。
では、ウリ専はどこで知ったんだい?
それは、ですねぇ十代でピチピチの若い頃の雅はゲイ雑誌を定期的に購入しておりましたのです。
そのゲイ雑誌の最後の方のページ数にはウリ専の広告が何枚か載せてありました。
そのウリ専のどの広告にも「うちのお店で働きませんか?短時間で高収入稼げるよ」的な人材募集なるものが書かれていたのを覚えいました。
十代の雅にも短時間で高収入稼げるのにはどんな仕事なのかは察しておりました。
雅が22才でウリ専デビューするまで、数年間ウリ専で働くことに興味を持っていました。
余談になりますが、雅の実家は婦人服を仕立てるプレス屋を営んでおりました。
不況の煽りもあり、雅が二十歳の時に父の会社は倒産して膨大な借金を残して家族全員夜逃げをするはめになります。
雅は父の会社で高校を卒業して間もなくしてから働きはじめました。
工場での現場仕事が主でした。洋服のアイロンがけや機械で洋服をプレスする作業をしてました。
しかし、その頃の会社の経営状態は末期を迎えておりました。
人も多く雇えず、家族全員で殆どの仕事をこなしていく状態になっているため朝から晩までへたしたら眠れずに仕事をしていました。
因みに、雅は無給で休み無しでしたのよ……クスン……。
家での衣食住をさせてもらうのが給料でしたのよ……クスン……クスン。
この時の雅はこんな家でてってやる~!ウリ専で楽して働くんだ~と心の中で叫びまくっていやした。
膨大に膨らんでしまった父の会社は借金苦のため、家族でthe!夜逃げ計画をたてて夜逃げを実行することになりました。
こういった経験をしたせいか当時は現場で汗水たらしながら働くことに嫌悪感すら抱いていました。
人前に出る明るい華やかな仕事で楽してお金を沢山稼げるような仕事を強く求めはじめていたのです。
このことがウリ専で働く動機にもなったんだと思います。
動機といえばもう1つございます。
この当時、雅には女の子でレズビアンの友達が一人おりました。
彼女は風俗て働いておりまして、彼女の生活スタイルは正しく自由奔放でした。
何事にも縛られず自由な生き方をされてましたね。
あの時の雅にとっては彼女が羨ましく感じていましたね。
楽してお金を沢山かせげて自由なライフライン。
夜逃げから数年後、この甘い思いを抱きながらウリ専で働きだすこととなります。
なぜ、ウリ専だったのか?
苦労なく大金稼げて自由を満喫した生活を送りたかったからなのでございました。
🎶 チャンチャン🎶
おわかりいただけたでしょうか?
雅の思い出話で少しでも楽しんでいただければ、雅はもう喜びの絶頂まで達せることができて読んで下さった皆様に感謝感激のあめあられを噴射したくなります。
今回もお読み下さりありがとうございます!!
次回のブログでまたお会いしましょうね。
バイバイ。